トップページ(南木-楠木正成サイト-) >>  楠正明(くすのきまさあき)【楠木正明】

楠正明(?〜1493?)

逆さ菊水紋紹介文
 室町時代の人物。明道上人。河内国玉櫛庄(大阪府東大阪市・八尾市北部)の住人。大阪府東大阪市友井にあります、光壽山正善寺の掲示板を抜粋しますと、楠木正儀の5代目(正儀の子か孫の楠木正平の末)の嫡系にあたる正明は、浄土真宗の蓮如上人に深く帰依していました。文明八年(1476)10月3日の未明に、家祖楠木正成の夢告を受け俄かに発心して剃髪し、上人から教専坊明道の法名を賜って、正善寺を開創されました。
 また、畠山政長に属した楠正明(弥三郎)という人物が明応二年(1493)に戦死しております。この人物は、正儀-正秀-正盛-正蔭-正明と続いたとされますが、上記の正明と同一人物かは不明です。活躍した年代は、だいだい一致しております。
正善寺  なお、大阪市東淀川区小松にあります瑞松寺は、玉櫛庄領主の明道(楠正澄)の開基で、天正四年(1576)6月3日付けの顕如上人からの感状(前月の5月にあった織田信長勢との合戦での働き。その5月は伊勢楠氏の楠正具が大坂本願寺勢として信長との木津川合戦で戦死したかもしれないとされています)が、明道のご子孫であります村尾家(代々橘姓)に残っております。正善寺を建てた明道と100年程の開きがありますが、同じ一族と想像されます。