トップページ(南木-楠木正成サイト-) >>  楠正充(くすのきまさあつ)

楠正充(1477〜1532)

逆さ菊水紋生い立ち
 室町時代の人物。楠正威の孫。父は楠正富。幼名は次郎丸。
 文明十八年(1486)、正充10歳の時に、楠山城主(5代目城主)に就きました。明応二年(1493)、正充と名乗ります。伊勢楠氏の菩提寺、正覚寺(三重県)にお墓があります。
逆さ菊水紋楠氏の苦難
 4代目楠城主の後は、正威の子の正富が継ぐべきでありましたが、禁闕の変後、幕府による南朝遺臣の取締りがさらに厳しくなり、楠氏を名乗っているだけで幕府に捕まる恐れがあった為、当時の北畠の当主の計らいもあって、楠山城に城主を据えずに代官を配していました。ちなみに、その代官は楠正重楠正顯の孫、楠正重の子)で、当時は楠木の名を隠して川俣と名乗っていました。正重は嘉吉三年(1443)から応仁元年(1467)まで代官でした。正重の子、川俣正重も代官に就任しております。応仁の乱(1467〜1477)が勃発してから、南朝遺臣の追手も多少ゆるくなったので、正充が楠山城の5代目城主に就くことができたのでしょうか?
正覚寺の楠氏のお墓