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楠正長(1372〜1468)

逆さ菊水紋紹介
 室町時代の人物。幼名三虎三郎。右京進。父は楠木正儀で三男とも八男とも言われています。母は交野三左衛門の娘で達。河内国(大阪府)の正覚寺村で生まれました。
 定願寺の掲示板等によりますと、僧の祐存に養育され、22歳の頃から家を出、河内国の観心寺で3年間修行し、鳥羽の光明寺(父正儀病没の地と伝わる)で台教を学び、楠木一族の菩提を弔うために父祖の戦跡を訪れ、応永六年(1399)に河内の四条(大阪市生野区)に住みました。さらにその後、本願寺の巧如上人に帰依し、定願と号し、現在の大阪市生野区の南巽近辺に定願寺を建て、この地で没しました。
楠正長の旧跡の碑