トップページ(南木-楠木正成サイト-) >>  楠木持正(くすのきもちまさ)

楠木持正(?〜?)

逆さ菊水紋北朝方か?
 室町時代の人物。
 『應永卅五年十月廿一日晴、(上略)次自大乗院被執進故楠木持正入道重代太刀、并自方々、書状等五通、備上覧了、』
 応永35(1428)年は、室町幕府4代将軍だった足利義持が死去し、義円(のちの足利義教)が籤により将軍後嗣と決まった年です。この年の途中で年号が正長になりましたので、細かくいいますと、上記の10月21日は応永35年でなく正長元年になりますね。
 また持正の「持」の字は、将軍義持から授かった字だと思われます。天皇や将軍などの時の権力者と同じ諱を他の人物が勝手に用いることは避けられておりましたので、持正は室町幕府の中枢に近い人物、もしくは、義持の信任の厚い人物だったのではと想像されます。南北朝時代、楠木正儀が足利幕府側にいた頃に出来た子供やその子孫、もしくは、正儀と一緒について来た人物、また、正儀とは関係なく足利幕府に仕えた楠木氏では?と、色々考えられますが、詳細は不明です。