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楠木正俊(?〜1300?)

逆さ菊水紋紹介
 鎌倉時代の人物。和田刑部丞。次郎太郎。楠木正成の祖父か?
河内国の観心寺の中院に住んだため、その中院が代々楠木氏の菩提寺とされました。
 後嵯峨上皇一行が、ある春の日に高野山へ参詣に向かう途中、河内国の水分村の楠木館の前を通りました。上皇の供奉人が楠木の庭に咲く桜を無遠慮に折り取ったのを知った正俊は、その供奉人を斬殺してしまいました。不敬罪として捕まった正俊は京都の牢獄へ数年間入れられました。その間に父である成氏が病死してしまいましたが、遺訓として勤皇に励むようにと母から伝えられた正俊は、その遺訓を守り、父の菩提を弔うために観心寺の中院を建てたとも伝わっております。
 永仁元年(1293)11月に出家し、刑部入道と号したとも。永仁三年(1295)、「楠河内入道」と名乗る者らの悪党が播磨国(兵庫県)の東大寺領大部荘に乱入したという記録がありますが、これと正俊がどう関連があるかは判明しておりません。しかし、出家した時期から想像すると、楠河内入道は正俊かと思いますが、まったくわかりません。