トップページ(南木-楠木正成サイト-) >>  楠良清(くすのきよしきよ)

楠良清(?〜?)

逆さ菊水紋楠不伝か?
 織豊時代から江戸時代の人物。紀伊国(和歌山県)熊野の人。嘉兵衛備前守良清。父は楠良治
 熊野七上綱を総官した堀内氏に属しました。良清の屋敷が新宮権現(熊野速玉大社)の宮前にあったと伝わります。
 1600年の関が原の戦いで西軍に組した堀内氏が熊野の領地を召し上げられたあと、良清は熊野本宮禄司竹ノ坊に寄り、その家を継ぎます。
 その後、江戸に移り楠不伝と称して兵学を教授したと伝わります。不伝は江戸時代におこった「慶安の変」の由比正雪の師匠であり義父でもあります。
 良清の子、正次・良廣・丈庵のうち、正次は土井大炊頭の招きに応じて300石を得たとされます。その為、社司職は良廣が継ぎました。
 熊野本宮大社の神官で、長禄の変で負傷し熊野へ逃れ住み着いた楠木行康の子孫とされています。
楠木行康─楠正俊─成良┬正利
           ├正純
           └正隆─良治─良清(不伝)┬正次
                        ├良廣
                        └丈庵
熊野速玉大社
熊野速玉大社
楠不伝良清の墓がある墓地
楠不伝良清の墓がある墓地
熊野社家の楠氏の墓地
熊野社家の楠氏の墓地