南北朝略年表
(南北朝分裂)

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延元元年・建武三年(1336)
 11月、足利尊氏、幕府を開く。建武式目けんむしきもく制定(十七ヵ条)。
11月7日、念願の幕府を開く。
 12月、後醍醐天皇、吉野へ(南北朝分裂)。
21日の夜、神器とともに花山院を脱出し、吉野へ。
延元二年・建武四年(1337)
 3月、金ケ崎城落城。
3月6日、恒良親王とらわれ、尊良親王自害する。新田義貞は杣山そまやまへ逃れる。
延元三年・暦応元年(1338)
 1月、美濃青野原の戦い。
前月に斯波家長を利根川合戦で破り鎌倉を陥れていた北畠顕家は、 1月28日、美濃青野原で高師冬こうのもろふゆらを破る。
 5月、石津の戦い。
2月下旬から般若坂の戦いや天王寺で高師直に連敗した北畠顕家は、 5月22日、和泉石津の戦い(阿倍野)で戦死。
 閏7月、藤島の戦い。
閏7月2日、斯波しば高経に破れ新田義貞戦死。
 8月、足利尊氏、征夷大将軍に。
8月11日、待望の征夷大将軍に就任する。
 9月、北畠親房ら東国へ。
義良・宗良親王、北畠親房・顕信は船で東国へ向かうも、遭難。
義良親王と顕信は伊勢に戻り、宗良親王は遠江に、親房は常陸に。
この年、吉田定房・坊門清忠・結城宗広が没。
延元四年・暦応二年(1339)
 8月、後醍醐天皇薨去こうきょ
8月16日、京に戻ることなく後醍醐天皇が亡くなる。南朝は12歳の義良親王(後村上天皇)に。
「玉骨はたとひ南山の苔に埋もるとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ」

主な出来事

1336年:足利幕府開く
1336年:南北朝分裂