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トップページ(南木-楠木正成サイト-) >>  楠木正理(くすのきまさみち)

楠木正理(1378?〜1458)

逆さ菊水紋紹介
 室町時代の人物。楠木正勝の男子とも楠木正隆の男子とも伝わります。初名、正尹。雅楽助。左京亮。子に楠木行康・用勝・用隆。
逆さ菊水紋禁闕の変(きんけつのへん)
 嘉吉三年(1443)9月23日、正理(楠木次郎のこと。ただしこれは楠木正秀のことかもしれません)は、日野有光・資光、越智伊予守、湯浅九郎等とともに、後亀山上皇の子孫、金蔵主・通蔵主兄弟、もしくは後亀山上皇の皇孫(小倉宮の皇子)の教尊や源尊秀(尊秀王)を奉じて内裏に侵入し、三種の神器の神璽と宝剣を奪いましたが、すぐに追手に追われました。宝剣はすぐに清水寺の前に落ちていたので北朝の天皇の元へ戻りましたが、神璽は持ち去れました。正理らは京を逃れ比叡山延暦寺に立て篭もりますが、やがて追い詰められました。しかし正理は逃亡したとされます。
逆さ菊水紋長禄の変
 長禄元年(1457)12月〜翌58年、足利幕府に寄って取り潰されていた赤松家の遺臣が、お家再興の為に南朝の北山宮を襲撃し神璽を奪回したの時(長禄の変)、正理は重傷になり、長禄2年4月14日に卒。81歳。