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楠木正平(くすのきまさひら)【楠正平】
楠木正平(?〜?)
- 紹介
- 南北朝時代の人物。楠木正儀の子、または孫。
正平は、南朝年号の元中(北朝では至徳)年代頃、南河内(大阪府)の千早・赤坂から、中河内(大阪府)の玉櫛庄へ移住してきたと伝わります。5万7千石を領したとも云われています。この玉櫛庄は、橘正遠の拠点とされ、また、橘正遠は橘姓を名乗った楠木氏の楠木正遠と同一人物かと推定されています。さらに、楠木正遠は楠木正成の父とも推測されていることから、正成の孫で、正儀の子の正平が楠木氏の拠点に移住してきたと考えられます。正平はこの地で村尾新兵衛と改名したと伝わり、現在もその跡地には稲荷明神が手厚く祀られています。
- 子孫達
- 正平の子孫(正儀より数えて5代目。正平が正儀の孫ならば4代目)である、正明と正次は共に浄土真宗の蓮如上人に帰依し、正明が明道、正次が教専坊と名乗りました。文明八年(1476)10月、友井村(東大阪市友井)に正善寺を、同年12月には、玉櫛北ノ辻(東大阪市玉串元町)に淳慶寺を建てました。なお、その光壽山正善寺の掲示板によりますと、明道(楠木正明)は『文明八年(1476)年10月3日未明、家祖楠木正成の夢告を受け、俄かに発心して剃髪し』たとあります。
また、正平の5代孫と伝わる楠正光は大阪府羽曳野市誉田の西落山勝光寺に住し、法名を正了といいました。正了は楠木正成の弟の楠木正氏の3代孫である正満の養子となっています。