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楠木氏の城と砦(大阪府編)


*楠木氏や和田氏と関係がないとは考えにくいので、南朝方の城砦も掲載しております。
名称 場所 備考
あ行
赤滝砦 大阪府南河内郡千早赤阪村千人隠 楠木氏の砦。元弘三年(1333)鎌倉幕府軍の大将大仏定直の攻撃により落城。
赤土山砦 大阪府南河内郡千早赤阪村水分 元弘二年(1332)楠木氏に属した神宮寺正師が守備した。
浅香城 大阪府堺市堺区浅香山 正平年間(1346-69)南朝方として浅香右近将監宗勝が守備した。
荒坂山砦 大阪府枚方市長尾 南朝の拠点の一つ。
池島城 大阪府東大阪市池島町 楠木氏の支城の一つ。玉櫛庄の橘入道正遠の居城かもしれない。正平年間に落城。
池田城 大阪府池田市城山町 文保元年(1317)池田教依が築城。楠木正行の子の教正を養子にした。
石仏城 大阪府河内長野市石仏町 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦。甲斐庄氏が拠った。
石川城(大ヶ塚城・石川北城) 大阪府南河内郡河南町大ヶ塚 元弘元年(1331)後醍醐天皇の綸旨を奉じて石川義純・同義忠兄弟が築いた城。
石川向城 大阪府富田林市甲田? 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。
石仏城 大阪府富田林市石仏 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。甲斐庄氏が拠った。
稲荷山城(旗蔵山城) 大阪府河内長野市日野町 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。小滝城の出城。
茨木城 大阪府茨木市 建武年間(1334-37)楠木正成の築城と伝わる。
岩室砦 大阪府大阪狭山市岩室 楠木正儀の時代の築城伝わる。
宇多大津城 大阪府泉大津市宇多大津 建武の頃(1331-37)楠木方に属した藤林民部大輔が拠る。
宇利和利城 大阪市平野区瓜破東 楠木正儀の城。
毛人谷城 大阪府富田林市毛人谷 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。富田氏が拠る。
烏帽子形城 大阪府河内長野市喜多町 元弘二年(1332)楠木正成が赤坂城の出城として築く。高向氏が拠る。楠木七城の一つ。正平年間に楠木小二郎が拠る。後、楠木一族の甲斐庄氏が城主になる。
往生院城 大阪府東大阪市六万寺町 正平三年(1348)楠木正行が拠る。そばの往生院は正行の墓所。
大木城 大阪府泉佐野市大木 延元元年(1336)南朝方の名手教治が畠山国清と戦った。翌二年、淡輪重氏は日根野盛治・籾井彦五郎・甲斐沼四郎と共に攻め落とした。
大沢城 大阪府河内長野市石見川 元弘二年(1332)楠木正成が築城。
恩智城 大阪府八尾市恩智 楠木正成楠木正行父子に仕えた恩地左近満一の城。
か行
篝山城 大阪府富田林市南大伴 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。山中田氏や杉山氏が拠る。
肩衝山砦 大阪府南河内郡千早赤阪村千早 元弘二年(1332)楠木正成が設けた砦の一つ。
交野城(私部城) 大阪府交野市私部 正平七年(1352)頃、楠木正儀と共に南朝方として戦った安見清儀が築城。
上赤坂城(桐山城・大根田城) 大阪府南河内郡千早赤阪村 元弘二年(1332)以前に楠木正成が築城。平野将監が拠る。
上河内城(東山城・長谷城) 大阪府南河内郡河南町上河内 正平十五年(1360)楠木正儀が元々あった砦を修築し、八木弾正および菱木越後守を守将にした。楠木十七支城の一つ。
上猫路砦 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪 元弘二年(1332)楠木正成が築城。
加守城 大阪府岸和田市加守町 永徳年間(1381-83)楠木方に属した取石太郎が攻めたが討ち死にした。
上山城 大阪府南河内郡河南町大ヶ塚 元弘の変の時に楠木正成が設けた城砦。福塚氏が拠る。楠木十七ヵ城の一つ。正平十四年(1359)楠木正儀は福塚氏を城将にした。
萱振城 大阪府八尾市萱振 延元三年(1338)南朝方の高木遠盛が攻め落とした。
河合城 大阪府河内長野市河合寺町 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。河合寺の僧徒が拠った。
川野辺城 大阪府南河内郡河南町川野辺 元弘年間(1331-33)楠木正成が設けた城砦の一つ。正平十五年(1360)楠木正儀が設けた十七ヵ城の一つ。河野辺氏が拠った。
河原城 大阪府羽曳野市河原城 南北朝の頃、河原弘成が築城。
観音寺城 大阪府和泉市観音寺町 延元三〜四年(1338-39)北畠顕家が拠った。
喜志城 大阪府富田林市喜志川面 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。畠山政高が拠った。
岸和田城 大阪府岸和田市野田町 建武元年(1334)楠木正成が和泉国の守護になり一族の和田新兵衛高家を代官とした。正平の頃は和田正武が城主になった。
北山城 大阪府富田林市宮町 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。
北山砦 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪 千早城の戦いの時、激戦の末幕府軍が占領した。
喜連川城 大阪市東住吉区喜連町 延元年間に北畠顕家が拠り北朝軍と戦った。
郡山砦 大阪府茨木市郡山 永禄年間(1558-69)楠木正成の末裔の郡正信が築城した。
小松城 大阪府交野市星田 南北朝の頃、楠木氏の一族の和田賢秀が小松寺を利用して城砦にした。
小山城 大阪府藤井寺市津堂 正平二年(1347)細川頼之が率いる北朝軍が攻め楠木氏と和田氏が防戦した。
誉田城 大阪府羽曳野市誉田 正平年間(1346-69)楠木正儀が攻め落とした。
金胎寺城 大阪府富田林市嬉 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。佐備正忠が守備した。正平年間(1346-69)楠木正儀の設けた十七支城の一つ。
さ行
左近城 大阪府河内長野市清水町 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。今井四郎が守備した。
佐備谷口砦 大阪府富田林市佐備 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。佐備氏が守備した。
猿子城 大阪府河内長野市滝畑町 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。
下赤坂城 大阪府南河内郡千早赤阪村 元弘元年(1331)楠木正成が築城。鎌倉幕府の大軍を迎え撃つも落城。翌二年、楠木軍の奇略に寄って奪回した。
浄心寺砦 大阪府南河内郡千早赤阪村二河原辺 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。現在は非理法権天の顕彰碑が建っている。
城山 大阪府東大阪市河内 正平三年(1348)四条縄手(四條畷)の戦いに際して楠木正行が設けた城砦の一つか?
神感寺城 大阪府東大阪市上四条町 楠木氏の城砦の一つ。正平三年(1348)四条縄手(四條畷)の戦いの際、佐々木道誉に焼かれた。
神宮寺城 大阪府八尾市神宮寺 楠木氏に属した神宮寺小太郎の拠った城。正平三年(1348)四条縄手の戦いの際、落城。
神感寺砦 大阪府南河内郡河南町川野辺 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。神宮寺正師が拠った。
新家城 大阪府箕面市豊川町 元弘年間(1331-1333)赤松則祐が築いた。
陣山城 大阪府富田林市上佐備 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。
陣屋山城 大阪府南河内郡河南町弘川 正平十五年(1360)楠木正儀の部下隅屋与市が拠った。
蕎原城 大阪府貝塚市蕎原 延元元年(1336)岸和田氏が攻め落とした。
た行
大宝寺城(別井城) 大阪府南河内郡河南町山城 元弘の変(1331)の時、楠木正成が設けた城砦の一つ。山城氏が拠った。
高塚砦(吉年砦) 大阪府南河内郡千早赤阪村吉年 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。
高塚砦 大阪府南河内郡千早赤阪村桐山 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。阿蘇時治の猛攻に抵抗した。
巽城 大阪市平野区長吉長原 楠公十七城の一つ。
田口城 大阪府枚方市田口 正平八年(1353)楠木一族の和田正光が築き、足利義詮の旗下に属すと喜多和泉守と名乗った。
丹南城 大阪府松原市丹南町 丹南は楠木氏と同族とも言われる高木氏の拠点か。元弘の変(1331)の時には、ここを守った北条軍と楠木正成が交戦した。
淡輪城 大阪府泉南郡岬町淡輪 南北朝時代に北朝方や南朝方で戦った淡輪氏の居城。
千早城 大阪府南河内郡千早赤阪村 元弘二年(1332)楠木正成の築城。元弘三年(1332)幕府の北条軍の大軍を奇策を用いて守備した戦いはあまりにも有名。元中九年(1390)落城。
茶臼山砦 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪 千早城の戦いの時に北条方に奪われた。
津熊砦 大阪府枚方市藤坂 楠木氏の末裔とされる津田氏の出城の一つ。
津田城(国見山城) 大阪府枚方市津田 延徳二年(1490)楠木氏の末裔とされる津田正信の築城。
土丸城 大阪府泉佐野市土丸 貞和年間(1345-49)楠木氏の築城。貞和三年(1347)落城。文和二年(1353)南朝方が奪還。その後、橋本正高が城主に。
津々山砦 大阪府富田林市廿山 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦で隅田氏が拠った。正平十四年(1359)楠木正儀が足利義詮と戦うも敗走。
土井砦(土居屋敷) 大阪府南河内郡千早赤阪村桐山 元弘三年(1333)上赤坂城の開城の際に落城。
陶器城 大阪府堺市中区田園 元弘三年(1333)北条氏が拠るこの城を楠木勢が落とす。正平六年(1351)岸和田助氏・助重がこの城を攻める。
徳庵城 大阪府東大阪市徳庵本町 南北朝時代に伊賀和泉守源義昭が拠る。四条縄手(四條畷)の戦いで足利方に討たれた。
富山砦 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪 元弘二年(1332)千早城の前衛防御陣地として設けられる。翌年幕府軍に奪われる。
な行
長尾砦 大阪府枚方市長尾 津田城の出城。
中の台砦 大阪府南河内郡千早赤阪村桐山 正平年間(1346-69)野田四郎、和田正氏が拠る。
中山口砦 大阪府富田林市板持 楠木正成が築いた城砦の一つで杉山氏が拠る。
二河原辺城 大阪府南河内郡千早赤阪村二河原辺 元弘二年(1332)楠木正成が設けた砦の一つ。厩舎や馬場を置いた。
二上山砦 大阪府南河内郡太子町山田 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。
野田城 大阪府堺市東区南野田 鎌倉時代末期、野田四郎正勝が築いた城。野田正勝は湊川の戦いで楠木正成と共に死す。正平十一年(1356)野田兵部助正康が拠るも足利勢に破れる。
は行
旗尾山砦 大阪府河内長野市岩瀬町 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。
八国砦 大阪府南河内郡千早赤阪村中津原 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。翌年幕府軍に占領される。
春木城 大阪府和泉市春木 元弘年間(1331-33)楠木正成が設けた城砦の一つ。
埴田城 大阪府大阪狭山市半田 延元三年(1338)楠木方の佐備正忠、高木遠盛がこの城を攻める。
平岩城 大阪府南河内郡河南町平岩 元弘元年(1331)後醍醐天皇側に味方した平岩河内守茂直が拠るも討ち死にす。翌年楠木正成が修築し、正平年間の楠木正儀が棟梁の頃、楠木十七支城の一つとなる。
平尾城(涅槃城) 大阪府堺市美原区平尾 元弘年間(1331-33)楠木正成が築城。弘和二年(1382)平尾では楠木正儀が山名勢と戦い負け、元中五年(1388)には楠木正勝が足利義満を待ち伏せるも山名氏清に不意打ちされた。
弘川城 大阪府南河内郡河南町弘川 楠木正儀が設けた楠木十七支城の一つ。正平十四年(1359)隅屋与市が拠る。
細尾砦 大阪府南河内郡千早赤阪村細尾山 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。千早城の搦手の備えを担う。翌元弘三年陥落。
本丸山城 大阪府枚方市津田 津田正時が設けた城。
ま行
真木城(牧城) 大阪府枚方市御殿山町 正平年間(1346-69)畠山義深が楠木・和田の残党を鎮圧するために設けた支城の一つ。
槇尾山城 大阪府和泉市槇尾山 延元(1336-39)の頃から南朝方の拠点の一つ。
枡形砦 大阪府南河内郡千早赤阪村桐山 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。翌元弘三年落城。
松原城 大阪府松原市上田町 延元三年(1338)和田左衛門正興、橋本九郎右衛門尉正茂らが攻めた城。
真鍋城 大阪府泉大津市本町 元弘から建武年間(1331-37)楠木氏の麾下で働いた真鍋主馬太夫の城。
丸山砦 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。
水越砦 大阪府南河内郡千早赤阪村 楠木正成が設けた城砦の一つ。
水速城(水走城) 大阪府東大阪市水走 正平十五年(1360)楠木正儀がこの城に拠った河内守護代の杉原周防守を追い払った。
三津屋城 大阪市東淀川区三津屋中通 正平年間(1346-69)楠木正行が設けた城砦の一つ。
箕形城 大阪府和泉市箕形町 延元三年(1338)南朝方が設けた城砦の一つ。
三林城 大阪府和泉市三林 南北朝の頃、和田氏の家臣、宮里四郎左衛門が居城した。
宮里城(切坂城) 大阪府和泉市下宮町 延元二年(1337)この城に拠った細川顕氏を岸和田治氏、槇尾寺宗徒らが攻めた。
妙見砦 大阪府南河内郡千早赤阪村千早 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。
持尾城 大阪府南河内郡河南町持尾 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つで平石氏が拠った。
本宮砦(不本見山城) 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。霊山として崇められ楠木正成も厚く崇敬したと伝わる。
籾井城 大阪府泉佐野市樫井 建武三年(1336)楠木正成戦死後に畠山国清がここで旗揚げした。
守口城(森口城) 大阪府守口市 応永六年(1399)応永の乱がおこる直前、堺にやって来た大内義弘がここに拠っていた杉九郎を堺に召喚した。
や行
八尾城 大阪府八尾市 楠木正成に組した八尾別当顕幸の築城。延元二年(1337)北朝に奪われていた八尾城を高木八郎兵衛遠盛、小山三郎左衛門忠能が数度攻めようやく奪取できた。正平十二年(1357)酒井延綱、佐和正税、秋山忠成、古折信盛、真木野信行らが八尾城を守るも細川頼之に落とされた。
八木城 大阪府岸和田市荒木町 延元元年(1336)八木彌太郎入道法達、岸和田治氏が守る八木城が畠山国清らに攻められるも、天王寺城より中院右中将、橋本九郎左衛門正茂らが来援し、城中より岸和田治氏が討って出たため、畠山国清らを撃破することが出来た。
山田城 大阪府吹田市山田 元弘年間(1331-33)赤松則祐の築城と伝わる。
ら行
龍泉寺城(嶽山城、東条城) 大阪府富田林市龍泉 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つで佐備正忠が拠る。正平十五年(1360)細川氏清、赤松範実らに落とされる。
わ行
若山砦 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪 元弘二年(1332)楠木正成が設けた城砦の一つ。野田四郎正勝、和田正氏が拠る。
鷲尾山城 大阪府東大阪市石切町 延元二年(1337)南朝の勢力圏から見て北の守りとして神感寺とともに築かれた。正平三年(1348)四条縄手(四條畷)の戦いで寺の伽藍が灰燼に帰した。
和田城 大阪府堺市南区和田 建武年間(1334-37)和田高遠が築いたと伝わる。