南北朝略年表
(鎌倉時代末期)

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鎌倉時代末(13世紀後半〜14世紀前半)
 鎌倉幕府が衰退しはじめる。
鎌倉幕府の執権しっけん北条氏の政治体制に対する不平不満が形となって現れてきた。
延慶元年(1308)
 8月、花園天皇即位。
8月26日、持明院統じみょういんとう伏見ふしみ天皇の第二皇子みこである花園天皇が12歳で即位。
 9月、尊治たかはる親王、皇太子に。
9月19日、大覚寺統だいかくじとう後宇多ごうだ天皇の第二皇子である尊治親王(後醍醐ごだいご天皇)が21歳で皇太子に。
文保元年(1317)
 文保の和談。
      【持明院統】
後嵯峨(88)┬後深草(89)―伏見(92)┬後伏見(93)┬光厳
      │            └花園(95) └光明
      └亀山(90)―後宇多(91)┬後二条(94)―邦良
      【大覚寺統】       └後醍醐(96)―後村上

寛元4年(1246)、88代後嵯峨ごさが天皇は、第一皇子の当時4歳の後深草ごふかくさ天皇(89代)に位を譲るも、 院政を執りだしてから後深草天皇の弟にも天皇を継がせたくなり、 正元元年(1259)にその弟は12歳で亀山天皇(90代)となる。 しかし、当時17歳で退位した後深草天皇はおさまらず、 後嵯峨上皇の崩御ほうぎょ後、院の座に就くと主張するも亀山天皇に拒否された。 亀山天皇の次は誰が継ぐべきかも争いになり、 幕府の調停で91代目は亀山天皇の皇子の後宇多天皇、 92代目が後深草天皇の皇子の伏見天皇と決まった。 この影響で天皇家にも派閥が出来てしまった。 つまりそれは後深草系の「持明院統」と亀山系の「大覚寺統」とにわかれた。 しかし93代目が伏見天皇の皇子の後伏見天皇(持明院統)を立てたため亀山上皇が不満を示し、 第一皇子以外も天皇を継ぎたいとなったため、さらに複雑になっていった。 そこで幕府は両統が10年を目安として交互に位に就く案を出した(両統迭立りょうとうてつりつ)。
94代目、後宇多天皇の皇子の後二条天皇(大覚寺統)。
95代目、伏見天皇の皇子の花園天皇(持明院統)。
この95代目が持明院統ということに大覚寺統の後宇多上皇が反対をするが、幕府が仲裁に入って和解する(文保の和談)。
96代目は後宇多天皇の皇子の後醍醐天皇(大覚寺統)。
文保元年4月、大覚寺統の働きかけによって幕府より案が出された。
後醍醐天皇の次は故後二条天皇の皇子、邦良くによし親王。その次が後伏見天皇の皇子、量仁かずひと親王。
その後は両党交互にという内容だったが持明院統の伏見法王が反対。
しかし同年9月に伏見法王が亡くなると、この案が通った。

文保二年(1318)
 2月、大覚寺統の尊治親王(後醍醐天皇)即位。
花園天皇の後をついで、後宇多天皇の第二皇子、尊治親王が31歳で即位する(96代)。
元亨元年(1321)
 12月、後醍醐天皇、院政停止す(天皇親政)。
院政を廃止し、記録所を設置。
吉田定房、万里小路までのこうじ宣房、北畠親房(後の三房)や日野資朝すけとも、日野俊基らを側近に用いる。
翌年には「神人公事じんにんくじ停止令」発布など。公家一統をめざす。
正中元年(1324)
 9月、正中しょうちゅうの変。
6月に後醍醐天皇の父、後宇多天皇が亡くなり後醍醐天皇が大覚寺統のトップになる。
9月に鎌倉幕府を倒す計画が漏れ、その首謀者たち(主に無礼講と称した宴会に参加した花山院師賢かざんいんもろかた・四條隆資たかすけ洞院実世とういんさねよ・伊達遊雅・玄基・日野資朝・日野俊基・多治見国長・足助あすけ重成・土岐頼兼ら)が捕らえられた事件。9月23日の京都の北野祭の日に六波羅探題ろくはらたんだいを襲撃し、探題の北条範貞を血祭りにあげ、畿内(近畿地方中央部)周辺の寺社勢力や武士を呼びかけて倒幕組織を作ろうとした。
事件後、後醍醐天皇は知らぬ存ぜぬを決め込んだ。
他に正中の変に加わったものの中には六波羅に所属していた伊賀兼光などもいて、幕府側の人物も倒幕計画に参加していることが幕府の衰退を窺い知れる一つの要因である。
翌年になって資朝が佐渡へ配流された。
事件後、持明院統から皇太子を量仁親王にし退位をも迫るが後醍醐天皇は拒み続け、最期には幕府が一方的に量仁親王の立太子を認めたため、再び倒幕計画をすすめていった。
嘉暦元年(1326)
 3月、皇太子邦良親王死去。
後二条天皇の皇子で後醍醐天皇の皇太子である邦良親王が亡くなる。
嘉暦二年(1327)
 12月、尊雲法親王が天台座主ざすに。
後醍醐天皇の皇子、尊雲法親王、後の大塔宮おおとうのみや護良もりよし親王が比叡山天台座主になる。
僧兵を味方にしようとした。

【後醍醐天皇略系図】
後醍醐┬尊良親王
   ├世良親王
   ├護良親王(尊雲)
   ├宗良親王(尊澄)
   ├恒良親王
   ├成良親王
   ├後村上天皇(義良親王)(97)┬長慶(98)
   └懐良親王          └後亀山(99)
元徳二年(1330)
 3月、南都・北嶺ほくれい行幸ぎょうこう
後醍醐天皇は倒幕運動を着々とすすめたのか。
比叡山の宗教的影響や軍事力を自勢力として引き付けたかったのか。
 12月、尊澄そんちょう、天台座主に。
後醍醐天皇の皇子で護良親王の異母弟の尊澄(後の宗良親王)が天台座主になる。

主な出来事

1317年:文保の和談
1324年:正中の変