楠木氏関連年表
トップページ(南木-楠木正成サイト-) >> 楠木氏関連年表和暦 | 西暦 | 楠木氏の事象 | 主な出来事 |
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建久元年 | 1190 | 楠木四郎、源頼朝に随行す。 | 河内国東坂荘、観心寺領として頼朝により安堵される。 |
弘長三年 | 1263 | 楠木正遠、誕生か? | ・ |
文永三年 | 1266 | 楠木正玄、誕生か? | ・ |
永仁元年 | 1293 | この頃、正玄の妻、信貴山毘沙門堂に百日詣をし懐妊す。 11月、楠木正俊、出家し刑部入道と号す。 |
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永仁二年 | 1294 | 4月25日、楠木正成、誕生か? | ・ |
永仁三年 | 1295 | 10月29日、河内楠入道、播磨国大部荘に乱入。 | ・ |
永仁三年 | 1298 | 楠木正氏誕生か? | ・ |
正安二年 | 1300 | 正俊、8月死去? | ・ |
正安三年 | 1301 | 正成、8歳の時、観心寺の中院で僧滝覚に勉学等を学ぶ。 | ・ |
嘉元二年 | 1304 | 正遠、鎌倉で死去? | ・ |
嘉元三年 | 1305 | 正成、12歳の時、大江時親に兵法を学ぶ。 4月12日、正成、正玄とともに八尾(矢尾)別当顕幸を破る。 楠木正季誕生か? |
足利尊氏、誕生。 |
延慶元年 | 1308 | 正成、大江時親に兵法を学ぶ。 | ・ |
延慶二年 | 1309 | 2月13日、正成が元服。 6月、正成、八尾別当顕幸を大いに破る。 |
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延慶三年 | 1310 | 6月、正成、八尾別当顕幸と戦う。 | ・ |
正和四年 | 1315 | 正成の父親が亡くなる? | ・ |
正和五年 | 1316 | 4月7日、正成、幕命により慈明寺で越智邦永らを伐つ。 正成、八尾顕幸を河内国人見山で破る。 |
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元亨二年 | 1322 | 4月から8月、正成、鎌倉幕府の命で、紀伊国保田庄湯浅氏討伐す。 同様に、大和国越智氏討伐。 同様に、摂津国住人、渡辺右衛門尉討伐。 正成、持尾城を築く。 |
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元亨三年 | 1323 | 南江備前正忠の妹(敗鏡尼)、20歳の時、正成に嫁す。 安間正頼、天台宗慈明寺を創建。 |
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正中元年 | 1324 | 8月、正玄、死去? | 9月、正中の変。 |
正中二年 | 1325 | 紀伊庄司の安田がそむいて、正成が討伐す。 | ・ |
正中三年 | 1326 | 1月7日、楠木正行、誕生か? 1325年生まれ説あり。 | 後醍醐天皇、幕府調伏の祈祷をす。 |
嘉暦二年 | 1327 | 楠木正時、誕生か? 安間正時の子、楠木正頼(了願)、慈明寺を創建。 |
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嘉暦三年 | 1328 | 2月、和田新発意源秀、嘉祥寺法泉院(眞光寺)創建。 | 後村上天皇、誕生。 |
元徳二年 | 1330 | 楠木正儀、誕生か? 1329年生まれ説あり。 | 6月、足利義詮、誕生 |
元弘元年 | 1331 | 8月、正成、後醍醐天皇に拝謁。 9月、悪党楠兵衛尉、和泉国若松荘に押入る。 9月11日、正成、河内国下赤坂城にて挙兵。 10月15日、幕府軍、赤坂城を攻め、10月21日陥落。 楠木方の平岩茂直討死(平岩城)。 後醍醐天皇、正成に愛染明王を授ける。 正成の子、正秀、誕生す。 |
5月、元弘の変、勃発。 9月、笠置山攻防戦。 9月20日、幕府は光厳天皇をたてる。 9月29日、笠置落城。後醍醐天皇、捕らえられる。 |
元弘二年 | 1332 | 9月、護良親王が吉野に、正成は金剛山に拠る。 10月、正成、紀伊国隅田荘を攻撃す。 10月、正成、天野山金剛寺に祈祷す。 11月15日、正成、金剛山の千早城で挙兵。 12月、正成、赤坂城奪還。 12月、正成、尾藤弾正左衛門を叡福寺で破る。 正成、嶽山城(龍泉寺城)を築く。 この年末から翌春まで磯長叡福寺近辺で合戦す。 |
3月、後醍醐天皇、隠岐へ配流される。 11月、大和国吉野で護良親王挙兵。 |
元弘三年 | 1333 | 1月5日、正成、河内国天見で紀伊人の井上・山井等と合戦。 1月14日、正成、河内国野田の地頭・河内守護代・和泉守護を破る。 1月15日、正成、陶器左衛門尉・中田・橘上等の地頭を追う。六波羅軍を堺浦で破る。 1月17日、正成、四天王寺に陣し六波羅軍の攻撃を破る。 1月22日、正成、兵を引く。 2月23日、正成、天野山金剛寺に書状、「左衛門尉正成」とあり。 2月27日、幕府の大軍が上赤坂城を落とす。 閏2月、正成、千早城で幕府軍と戦闘(5月10日まで)。 6月2日、正成、後醍醐天皇に迎謁。 6月4日、正成の先駆けで後醍醐天皇が京の東寺に着く。 正成の子、正平、誕生す。 このころ、正成、播磨国昆陽荘と河内国新開荘を賜る。 |
1月、赤松則村、播磨国で挙兵。 閏2月24日、後醍醐天皇、隠岐島脱出し伯耆国の船上山に拠る。 3月、菊池武時戦死。 4月、足利高氏、官軍として挙兵。 5月7日、六波羅陥落。 5月22日、鎌倉幕府滅亡。 6月、記録所・恩賞方の設置。建武の親政はじまる。 6月13日、護良親王、征夷大将軍に。 9月、雑訴決断所・武者所の設置。 |
建武元年 | 1334 | 2月、正成、従六位下、続いて、従五位下検非違使に任命される。 4月、正成、出羽国屋代庄地頭職賜る。 5月16日、正成、記録所寄人になる。 9月21日、正成、後醍醐天皇の石清水八幡宮への行幸を警護す。 9月23日、正成、東寺の門を衛守。 11月、正成、紀伊国飯盛城攻撃。 正成、壺井八幡、建水分神社、観心寺本堂を再建す。 正成、身方塚・寄手塚を建設。 和田高家、岸和田古城を築く。 |
3月、乾坤通宝と紙幣発行の詔が出る。 8月、二条河原落書。 10月、護良親王、逮捕される。 11月、護良親王、鎌倉に配流。 |
建武二年 | 1335 | 1月29日、正成、紀伊国飯盛山の反乱を平定。 6月22日、正成ら、西園寺公宗を捕える。 8月、正成、従五位上に。左衛門尉兼河内守橘朝臣正成と署名、湊川神社に残る。 正成の子、朝成、誕生す。 |
7月14日、中先代の乱。23日、護良親王殺害される。 10月15日、足利尊氏、鎌倉にて反す。 |
延元元年 | 1336 | 1月7日、正成、山城国宇治を守備。5昼夜、足利軍と激戦す。 2月10日、正成、新田義貞と共に足利尊氏を打出西宮浜で破る。 このころ、楠木正家、常陸国の瓜連城で奮戦。 3月2日、正成、正五位下、叙任。 5月、正成、参内し、策戦を容れられず。 5月中旬過ぎ、正成、京を出発。後醍醐天皇より下賜された愛染明王を観心寺に寄付。 5月23日、正成、正行と桜井で別れる。 5月24日、正成、新田義貞と作戦会議。 5月25日、摂津国湊川で足利軍と戦い、正成・正氏・正季兄弟、死す(湊川の戦)。 6月、和田四郎次郎、京にて戦死。 12月、正家の篭る瓜連城陥落。 12月、正行ら、後醍醐天皇の京の脱出後、河内にて出迎える。 了意(楠門太郎)、眞成寺を創立。 |
1月、後醍醐天皇、比叡山に移る。 6月、千種忠顕、名和長年、戦死。 11月、足利尊氏、幕府を開く。 11月、尊氏、建武式目制定。 12月、後醍醐天皇、吉野に南朝を開く(南北朝の分裂)。 |
延元二年 | 1337 | 楠木正利(恵秀)、越前で戦死? 阿間了願、了願寺を創建。 |
3月、恒良親王、捕えられる。尊良親王・新田義顕自害。 |
延元三年 | 1338 | ・ | 6月、北畠顕家、和泉国石津浜で戦死。 閏7月、藤島の戦い。義貞戦死。 8月、尊氏、征夷大将軍に就任。 |
延元四年 | 1339 | ・ | 8月、後醍醐天皇、薨去。 南朝は後村上天皇に。 |
延元五年 | 1340 | 4月8日、正行、建水分神社奉納額に「左衛門尉正行」とあり。 正行、左衛門少尉に任官し、河内の国司になる。 正行、住吉、堺に高師泰を攻める。 |
3月、足利基氏、誕生。 10月、佐々木道誉、配流される。 |
興国三年 | 1342 | 正行、観心寺に野田庄岩瀬田一町を安堵。 | 4月、幕府、五山十刹を定める。 5月、脇屋義助、病死。 |
興国四年 | 1343 | この年前後、和田賢秀河内国禁野に和田寺を再建。 | 長慶天皇、誕生。 |
興国五年 | 1344 | 観心寺鎮守社焼失、正行、朝廷に再建を奏聞「正行花押」。 | 尊氏、後醍醐天皇の供養のために天竜寺を創建。 |
正平二年 | 1347 | 8月10日、正行挙兵。紀伊の隅田(和歌山県)・河内の池尻・摂津の住吉・天王寺で連勝。 | ・ |
正平三年 | 1348 | 1月5日、正行・正時・正家が高師直に破れ戦死す。一族の大塚惟正、賢秀も戦死(四条縄手の戦い)。 正儀、河内国中南部で足利軍と対峙(〜49年)。 正成夫人、出家し敗鏡尼と号し、観心寺から甘南備に移る。 |
後村上天皇は賀名生(奈良県)へ逃れる。 |
正平四年 | 1349 | 1月、正儀、往生院へ赴く。 8月29日、正儀、河内国小高瀬荘の領家職を観心寺に安堵する国宣を発す。 | 閏6月、高師直と足利直義が不和。 9月、足利基氏、初代鎌倉公方に就く。 |
正平五年 | 1350 | 3月、玄恵死去。 5月、正儀、河内国の富田林・丹下で畠山勢を追い払う。 12月、正儀は和田正朝と男山や八幡に進出。 |
観応の擾乱(〜51)。12月、足利直義、南朝に降る。 阿間(安間・楠)正頼(了願)、浄誓寺を創建す。 |
正平六年 | 1351 | 2月10日、正儀の意を受けた和田助氏、河内国の大饗城を攻める。 7月25日、和泉国で和田助氏・淡輪助重らが和泉国の大鳥や陶器を攻める。 8月から9月、助氏・助重は和泉国土丸城の日根野氏を攻める。 9月6日、正儀は、和泉国に佐野城・籾井城を築く。 |
2月25日、高師直・師泰兄弟殺される。 8月、尊氏・直義兄弟和議なるも、再び不和に。 10月、尊氏、南朝に全面降伏(正平の一統)。 11月、尊氏、直義を追って関東へ下る。 |
正平七年 | 1352 | 2月、正儀・北畠顕能らは足利義詮を追い払って京を攻め落とす(七条大宮の戦い)も、3月、すぐに逆襲される。 8月〜11月、正儀、志紀・渡辺・神崎・尼崎で赤松氏を破る。 |
2月、直義、毒殺される。 2月、後村上天皇、行宮を賀名生から摂津国住吉へ。さらに男山八幡に移る。 4月、義詮、男山八幡の行宮を包囲。 5月、後村上天皇、賀名生へ帰還す。 8月、北朝、後光厳天皇、神器なく即位。 11月、足利直冬、南朝に降伏。 |
正平八年 | 1353 | 6月、正儀・山名時氏・石塔頼房らと再び京を占拠(約1ヶ月半)。 和田正光、交野田口城を築き義詮に従い、喜多和泉守と名乗る。 この年、正儀、河内・和泉の守護になる。左衛門督。 |
6月、義詮、後光厳天皇を奉じて美濃国小島へ逃げる。 7月、赤松則祐は義詮に呼応して京を衝く。 |
正平九年 | 1354 | 9月23日、石河万寿に摂津国の闕所地を安堵。 | 4月、北畠親房死去。 後村上天皇、河内金剛寺に移り、行宮とす。 12月、足利直冬・桃井直常、南朝方として京を攻める。 |
正平十年 | 1355 | 正儀、八幡に陣を張り、京を攻め取る(約2ヶ月間)。 7月、正儀の子、楠木正勝、誕生か? |
1月、直冬・直常、入京す。 2月から3月、南朝と北朝、激戦す(京都攻防戦)。 |
正平十一年 | 1356 | 野田兵部助正康が野田城を守備するも破れる。 | ・ |
正平十二年 | 1357 | 正儀、左馬頭に任ぜられる。 | 2月、光厳院ら帰京。 5月、後村上天皇、観心寺に移る。 |
正平十三年 | 1358 | ・ | 4月、将軍尊氏病死。 8月、足利義満、誕生。 10月、新田義興、死去。 12月、義詮、征夷大将軍に。 |
正平十四年 | 1359 | 河内国の四条で、畠山国清と南朝方争う。 11月、正儀は国清と争う(東条城合戦〜60年)。 神宮寺太郎・川辺駿河守・菱木越後守・八木弾正が南河内で防御す。 |
阿野廉子、死去。 7月、筑後川の戦い。 8月、足利氏満、誕生。 12月23日、後村上天皇、観心寺に移り行宮とす。 |
正平十五年 | 1360 | 正儀、畠山国清に各地を攻め続けられ、5月、赤坂城陥落。しかし、後日、失地を回復す。 楠木正久戦死。 |
9月、後村上天皇、行宮を観心寺から摂津国住吉神社へと移す。 |
正平十六年 | 1361 | 正儀・和田正武、天神の森(大阪天満宮辺り)に陣をとり、摂津国を攻める。 12月、南朝軍、足利義詮を破り入京す(20日間程)。 |
8月、菊池武光は大宰府を占領し懐良親王を迎える。 |
正平十七年 | 1362 | 8月、正儀・和田正武・佐々木高氏は北朝の箕浦定俊を破る(神崎の戦い)。 9月、楠木・和田軍、多田部城を急襲す。 |
白峰の戦い。 |
正平十八年 | 1363 | 世阿弥、誕生か? | 大内義弘、山名時氏、幕府に降る。 |
正平十九年 | 1364 | 7月17日、敗鏡尼、死去。 | ・ |
正平二一年 | 1366 | この頃から、正儀、佐々木道誉等による南北両朝の合体工作がはじまる。 | ・ |
正平二二年 | 1367 | 4月、南北朝の和平交渉が正儀と佐々木道誉を中心に進められていたが決裂。 | 4月、初代鎌倉公方足利基氏、死去。 5月、足利氏満、第2代鎌倉公方に就く。 12月、2代将軍義詮、死去。 |
正平二三年 | 1368 | ・ | 3月、後村上天皇崩御。長慶天皇即位。 12月、足利義満、3代将軍に就く。 |
正平二四年 | 1369 | 1月2日、正儀、幕府に帰順。河内・和泉国の国司兼守護に任命される。 3月、正儀、榎並(大阪市)に陣をとる。 4月、正儀、上洛し義満と対面した後、河内十七ヶ所に退く。 |
諏訪十郎、伊勢に楠山城を築く。 |
文中元年 | 1372 | 楠正長、誕生。 観阿弥、醍醐寺で興行。 |
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文中二年 | 1373 | 正儀、赤松範資らとともに、天野山金剛寺を攻める。 観阿弥、醍醐寺で興行。 |
佐々木道誉、死去。 |
文中三年 | 1374 | 観阿弥・世阿弥、義満の前で能を演じる(1375?)。 | 小嶋法師、死去。 |
天授二年 | 1376 | ・ | 長慶天皇の皇子、尊聖、誕生。 |
天授三年 | 1377 | 楠正顯誕生か? | 後小松天皇、産まれる。 | 天授四年 | 1378 | 楠木正理、誕生か? | 義満、花の御所に移る。 足利満兼、誕生。 |
天授五年 | 1379 | 正儀は北朝で孤立。 正勝、仏門に入る? |
閏4月、康暦の政変。 |
天授7年 | 1381 | 紀伊大野城に山名義理が攻め、楠木一族140人近くが討ち死にす。 | 赤松満祐、誕生。 |
弘和二年 | 1382 | 閏1月、正儀、南朝へ帰参。 正儀、山名氏清と戦い敗れる。 下赤坂城、氏清に攻略される。 |
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弘和三年 | 1383 | ・ | 3月、懐良親王、死去。 この頃、長慶天皇、後亀山天皇に譲位。 |
元中元年 | 1384 | 5月、観阿弥、死去。 | 5月同日、今川範国、死去。 |
元中二年 | 1385 | 8月、正儀は紀伊三谷城で挙兵するも山名義理に破れる。 10月頃、紀伊篠ヶ城で楠正久、討死。 |
8月、宗良親王、死去。 |
元中三年 | 1386 | ・ | 2月、足利義持、誕生 |
元中四年 | 1387 | 4月阿間了願、死去。 | ・ |
元中五年 | 1388 | 8月正勝(正秀か)、紀州和歌浦からの帰京中の義満を討たんとするが、氏清に攻められ敗れる。 正儀、この頃(88〜89年)に死去か? |
6月、二条良基、死去。 |
元中八年 | 1391 | 8月22日、正儀、赤坂にて討死か? | 12月、山名氏清が挙兵、戦死(明徳の乱)。 |
元中九年 | 1392 | 1月、畠山基国に攻められ千早城落城し、正勝は兄弟(正元・正秀)とともに脱出。 閏10月、後亀山天皇の吉野から嵯峨へ行くお供に、楠木党七名、和田一名あり。 |
3月、細川頼之、死去。 閏10月、南北朝合体。 |
明徳四年 | 1393 | 正元、京で義満の暗殺失敗。 | ・ |
応永元年 | 1394 | 12月、一休宗純、誕生。 | 6月、足利義教、誕生。 8月、長慶天皇、死去。 |
応永五年 | 1398 | 音阿弥、誕生。 | 11月、第2代鎌倉公方足利氏満、死去。 足利満兼、第3代鎌倉公方に就く。 足利持氏、誕生。 畠山持国、誕生。 |
応永六年 | 1399 | 楠木二百余騎(正勝・正秀ら?)が大内方に与力。 | 11月〜12月、大内義弘の乱(応永の乱)。 |
応永七年 | 1400 | ・ | このころ、世阿弥、『風姿花伝』を著す。 |
応永十年 | 1403 | 刀匠、初代楠正重、誕生。 | 1月、畠山基国、死去。 |
応永十三年 | 1406 | 楠木正盛(西法入道)、幕府方の畠山満家に仕える。 | ・ |
応永十四年 | 1407 | ・ | 足利義持の嫡男、足利義量、誕生。 |
応永十五年 | 1408 | 楠正威、誕生。 正勝、大和の十津川村にて死去? |
4月、足利義嗣、禁中で元服。 5月、3代将軍義満、急死。 |
応永十六年 | 1409 | ・ | 第3代鎌倉公方足利満兼、死去。 足利持氏、第4代鎌倉公方に。 11月、後村上天皇の御孫、成仁が地蔵院に入室させられる。 |
応永十七年 | 1410 | ・ | 11月、後亀山上皇、吉野へ出奔。 |
応永十八年 | 1411 | 正盛(西法入道)、河内国大饗村を給わる。 | 7月、飛騨国司、姉小路尹綱、幕府軍に討たれる。 |
応永十九年 | 1412 | 正威、伊勢楠山城主になる。 正長、定願寺を創建。 |
後小松天皇譲位。称光天皇即位。 |
応永二十二年 | 1415 | 7月、楠木某、謀反し大和国宇智郡河内の家々を焼き払う。 同月、その楠木某と和田氏が河内国で幕府軍に討ち取られ、京の桂川に首4つが懸けられる。 |
春、伊勢国司、北畠満雅挙兵(前年の9月とも)。 10月、幕府は満雅と和睦。 |
応永二十三年 | 1416 | ・ | 9月、後亀山上皇、京の嵯峨に戻る。 10月2日、上杉禅宗の乱。 10月30日、足利義嗣、逐電。 |
応永二十六年 | 1419 | ・ | 後亀山上皇の曽孫、教尊、誕生。 |
応永二十九年 | 1422 | ・ | 7月15日、小倉宮恒敦(初代小倉宮)、没する。 |
応永三十年 | 1423 | ・ | 3月、足利義量、第5代将軍になる。 |
応永三十一年 | 1424 | ・ | 4月、後亀山上皇、没する。 |
応永三十二年 | 1425 | ・ | 2月、5代将軍足利義量、病没。将軍職が1429年まで空位になる。 |
応永三十四年 | 1427 | 刀匠、2代目楠正重、誕生。 | ・ |
正長元年 | 1428 | ・ | 1月、足利義持、没する。 7月、小倉宮聖承(二代目小倉宮)、伊勢国に出奔。 7月、称光天皇崩御。後花園天皇践祚。 9月、正長の土一揆。 12月、満雅、討ち死。 |
永享元年 | 1429 | 9月、楠木光正、足利義教を大和国(奈良県)春日大社で暗殺しようとするが失敗。京の六条河原で処刑される。 | 3月、足利義教、征夷大将軍に。 |
永享二年 | 1430 | 和田和泉守高之、本願寺巧如に帰依し明頓と号し、永詳寺を創立。 | 小倉宮(聖承)、伊勢国より京に帰還す。 |
永享四年 | 1432 | ・ | 7月、尊聖、没する。 |
永享五年 | 1433 | ・ | 4月、護聖院宮、没する。 |
永享六年 | 1434 | ・ | 2月、小倉宮(聖承)、出家し法名を聖承とす。 |
永享八年 | 1436 | ・ | 1月、足利義政、誕生。 |
永享九年 | 1437 | 楠木兄弟、河内で挙兵し森口城を攻め落とし立て籠もるが、8月3日忠死す。 | 義満の子、義昭僧正、逐電す。 |
永享十年 | 1438 | 正顯死去? | 8月、足利持氏の乱(永享の乱)おこる。 足利成氏、誕生。 |
永享十一年 | 1439 | ・ | 2月、第4代鎌倉公方足利持氏、自害す。 |
永享十二年 | 1440 | ・ | 結城合戦起こる。 |
嘉吉元年 | 1441 | ・ | 6月、6代将軍足利義教が赤松満祐に暗殺される(嘉吉の乱)。 嘉吉の徳政一揆。 |
嘉吉二年 | 1442 | ・ | 11月、足利義勝が7代将軍に就く。 |
嘉吉三年 | 1443 | 2月、楠木某が南朝余流を推戴して反逆するとの噂が立つ。 9月、正秀・正威や日野有光ら後南朝勢力が内裏に侵入し神爾と宝剣を奪う。 正威、楠木次郎死去。 10月、教尊、疑われ流罪になる。 |
5月7日、小倉宮聖承、没する。 5月10日、海門、没する。 7月、7代将軍足利義勝、死去。 9月、禁闕の変。 |
文安元年 | 1444 | 7月、円胤、紀伊北山で挙兵(47年か?)。 義有王(円胤か)、紅葉山城を逃れ、楠木氏残党と共に湯浅城に拠る。 |
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文安三年 | 1446 | 9月、義有王(円胤)と楠木氏残党は湯浅城で遊佐兵庫助、宇都宮禅綱らの軍勢を追い払う。 12月、湯浅城落城し義有王自害す。 楠木正秀、死去。 |
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文安四年 | 1447 | 楠木雅楽助(行康?)、円満院を奉じて紀伊で挙兵。 11月14日、正盛(西法入道)病死。 |
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宝徳元年 | 1449 | 刀匠、3代目楠正重、誕生。 | 足利義政が8代将軍に就く。 足利成氏、第5代鎌倉公方に就く。 |
康正二年 | 1456 | 2月、刀匠、初代楠正重、死去。 | ・ |
長禄元年 | 1457 | 12月、正理・行康、赤松遺臣と争い重症。 | 長禄の変(12月〜)、赤松家遺臣によって、南朝の末裔、自天王・忠義王兄弟殺害される。 |
長禄二年 | 1458 | 4月、正理、死去。 | 長禄の変(〜3月)。赤松家遺臣、神爾奪還。 |
寛正元年 | 1460 | 3月28日、楠木一族、処刑される。 楠正吉・正盛(盛信の誤伝か)、畠山義就に助勢し河内国金胎寺城に拠る。 |
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寛正六年 | 1465 | ・ | 11月、足利義尚、誕生。 |
文正元年 | 1466 | ・ | 7月、足利義稙(義材)、誕生。 |
応仁元年 | 1467 | ・ | 5月、応仁文明の乱おこる(〜77)。 |
応仁二年 | 1468 | 正長死去。 | ・ |
応仁二年 | 1470 | ・ | 3月、南朝遺臣、紀伊藤白で挙兵。 |
文明五年 | 1473 | ・ | 足利義尚、9代将軍に就く。 |
文明七年 | 1475 | 正行の末裔、末弘治郎左衛門尉、本願寺蓮如に帰依し正顕と号し光専寺を創立。 正勝(正盛?)の子、正吉、本願寺蓮如に帰依し賢知と号し、慈光寺を創立。 |
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文明八年 | 1476 | 楠左衛門正明、本願寺蓮如に帰依し、10月に明道坊(のちに正善寺)を創立。 楠正次、本願寺蓮如に帰依し、12月に教専坊(淳慶寺)を創立。 |
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文明九年 | 1477 | 楠正充、誕生。 | 応仁文明の乱の終わり。 |
文明十三年 | 1481 | 刀匠、4代目楠正重、誕生。 | 足利義澄、誕生。 |
文明十七年 | 1485 | ・ | 山城国一揆おこる(〜1493) |
長享二年 | 1488 | 1月、刀匠、2代目楠正重、死去。 | 加賀国守護富樫政親が一向一揆によって滅ぼされる。 |
長享三年 | 1489 | ・ | 9代将軍足利義尚、死去。 |
延徳二年 | 1490 | 津田正信、津田城を築く。 | 1月、8代将軍足利義政、死去。 7月、足利義材(義稙)、10代将軍に就く。 |
明応二年 | 1493 | 正充、楠山城主に。 正明、戦死。 明応年間に安間四郎正道、願生寺を創建。 |
明応の政変。 |
明応三年 | 1494 | ・ | 12月、足利義澄、11代将軍に就く。 |
明応六年 | 1497 | ・ | 第5代鎌倉公方(初代古河公方)、足利成氏、死去。 |
永正四年 | 1507 | 楠正忠、誕生か? | 永正の錯乱。 |
永正五年 | 1508 | ・ | 足利義稙(義材)、征夷大将軍に再任す。 |
永正八年 | 1511 | ・ | 4月、足利義晴、誕生。 |
永正十三年 | 1516 | 楠正具誕生。 | 伊勢長氏、相模国統一。 |
永正十七年 | 1520 | 楠木正虎(大饗長左衛門)誕生。 | ・ |
大永元年 | 1521 | ・ | 12月、足利義晴、12代将軍に就く。 |
大永三年 | 1523 | ・ | 4月、10代将軍足利義稙、死去。 |
大永五年 | 1525 | 6月、刀匠、3代目楠正重、死去。 | ・ |
天文元年 | 1532 | 正充、死去。正忠、楠山城6代目城主に。 橘善左衛門、本願寺證如に帰依し、成覚寺を再建す。 |
7月、三好元長、自害。 |
天文五年 | 1536 | ・ | 3月、足利義輝、誕生。 |
天文六年 | 1537 | ・ | 11月、足利義昭(義秋)、誕生。 |
天文七年 | 1538 | 安間浄久、慈明寺を再建。 | 足利義栄、誕生。 |
天文十五年 | 1546 | ・ | 12月、足利義輝、13代将軍に就く。 |
弘治二年 | 1556 | 正具、北畠具教に仕える。 | 斉藤道三戦死。 |
永禄二年 | 1559 | 正虎の働きで、楠木氏が朝敵の汚名を免れる。 | 松平信康、誕生。 |
永禄三年 | 1560 | ・ | 桶狭間の戦い。 |
永禄八年 | 1565 | ・ | 13代将軍足利義輝、死去。 |
永禄十年 | 1567 | 正忠・正具、織田信長と戦う。 | 3月、信長、伊勢進出。 |
永禄十一年 | 1568 | 正忠・正具、撤退。 | 信長、北伊勢平定。 2月、足利義栄、14代将軍に就く。 秋、14代将軍足利義栄、死去。 10月、足利義昭、15代将軍に就く。 |
天正元年 | 1573 | 楠惣左衛門、本願寺顕如に帰依し願念と号し、法正寺を創建。 | 室町幕府滅亡。 |
天正二年 | 1574 | この頃、正虎、信長に仕える。 | 結城秀康、誕生。 武田信虎、死去。 |
天正四年 | 1576 | 5月7日正具、木津川の戦いで戦死? 6月3日、玉櫛庄領主楠木正澄、本願寺顕如より感状をもらう。 |
浅野幸長、誕生。 |
天正九年 | 1581 | 楠治郎左衛門尉正澄、本願寺顕如に帰依し明道と号し、後に瑞松寺を創建。 | 百地丹波、死去。 |
天正十年 | 1582 | 正虎、羽柴秀吉に仕える。 | 6月、本能寺の変。 |
天正十一年 | 1583 | 正忠、秀吉勢に攻められ戦死。 | 賤ヶ岳の戦い。 |
天正十三年 | 1585 | 8月、楠太郎左衛門治之の甥、和田助次郎教齋、延長寺を中興す。 | 7月、秀吉、関白に。 |
天正十八年 | 1590 | ・ | 小田原の役。 |
文禄元年 | 1592 | 文禄年間、秀吉の検地により、正成の墓域、東西四間南北二十四坪の地が免租地とされる。 | 文禄の役。 |
文禄三年 | 1594 | 楠余左衛門正秀、玄可と号し報恩寺を中興す。 | 秀吉、吉野で花見。 |
文禄五年 | 1596 | 正虎、死去。 | 閏7月、伏見の大地震。 |
慶長二年 | 1597 | ・ | 15代将軍足利義昭、死去。 |
慶長三年 | 1598 | ・ | 慶長の役。 |
慶長五年 | 1600 | ・ | 関が原の戦い。 |
慶長八年 | 1603 | ・ | 徳川家康、江戸幕府を開く。 |
慶長十九年 | 1614 | ・ | 大坂冬の陣。 |
慶長二十年 | 1615 | ・ | 大坂夏の陣。豊臣家滅亡。 |
慶安四年 | 1651 | 楠不伝(正辰?)の弟子、由井正雪死去。 | 慶安の変。 |
寛文二年 | 1662 | 楠木正長、讃岐高松藩に招聘される。 | 徳川家宣、江戸6代目将軍に。 |
元禄五年 | 1692 | 徳川光圀が正成の石碑「嗚呼忠臣楠氏之墓」を建立。 | ・ |
宝暦九年 | 1759 | 6月、楠伝四郎、正成墓の参道を作る。供養田も寄進す。 | 松平定信、誕生。 |
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